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滝沢秀明の生い立ちとその軌跡 両親の離婚や極貧生活 トップアイドルから現役引退 若き実業家へ 

今や実業家の滝沢秀明

幼い頃から人気で愛称は『タッキー』と呼ばれ、多くの国民に愛されてきた。

現在は38歳の若さでジャニーズ事務所の副社長、傘下のジャニーズアイランドの社長を務めている。

1982年3月29日生まれ

八王子出身

A型

 

姉の影響もあり堂本光一に憧れ、自身で履歴書を送り、13歳(1995年)ジャニーズ事務所に入所する。

今井翼とは入所日が同じ

二宮和也 松本潤 相葉雅紀らと合宿所で生活したこともあった。

 

入所して半年後には『木曜の怪談』フジテレビ系で初主演を務め、入所の2年後1998年『ニュースの女』で鈴木保奈美と共演し人気となる。

14〜15歳頃から社長のジャニー北川にリーダーとしての素質を買われ、後に嵐や関ジャニ∞となるメンバーや山下智久、生田斗真、風間俊介らJr120人をコンサートなどでまとめていた。渋谷すばるとともに『東のタッキー 西のすばる』とも称され、Jr黄金期を牽引した。

翌年1999年『魔女の条件』では、松島菜々子演じる高校教師と禁断の恋に落ちる生徒役を演じ話題となる。

歌手・俳優・タレントとして活動し、誰の目にも輝かしく写り、また、とどまることをしらない勢いで活躍してきた。いつもテレビの前や舞台などで私たちを楽しませてくれていました。

あの端正な顔立ちからは伺うことができないことだが、実はだいのプロレス好きで、少年時代は大仁田厚のおっかけをしていたこともある。また、2000年には『力道山メモリアル』で、アントニオ猪木とエキシビジョンマッチで戦ったこともある。

いかにプロレスが大好きなのかわかるエピソードである。

大工仕事も得意で、『有吉ゼミ』などでその技量を発揮したり、東日本大震災の時はお忍びでボランティアに参加したりしていたという話を聞いたりした。

 

滝沢秀明はジャニーズ事務所の歴史の中でも類を見ないほどエリートです。

13歳(1995年)ジャニーズ事務所に履歴書を送り、1週間後に”ジャニーさんから電話がかかってきてレッスンに呼ばれ、その2週間後にはKinKi Kidsのバックダンサーとして踊ることになりました。そしてまた、その半年後の『木曜の怪談〜怪奇クラブ』というドラマの主演を務めました。

これらの出来事と流れを目にすると、『運命』に引き寄せられているかのように感じます。

幼少期から小学生時代

滝沢家は、幼少期に父親が出て行ってから母親ひとり、子供3人となり、生活に苦労したようだ。

服も買えず、冬でも同じタンクトップと短パンで通学していた。鉛筆や消しゴムも落し物から拝借しなければならないほどだったそう。

 

中学時代

すでに自立すること、働くことを考えていた滝沢少年は、憧れのプロレス団体に問合せし、入団条件を確認したこともあったが、身長と体重が足りず、断念したとのこと。

他の芸能事務所にも応募しており、一番早く連絡がきたジャニーズ事務所のオーディションを受け、ジャニー北川氏から連絡が入り、現在に至る。

 

これまでの信頼と功績 そして 社長への就任

滝沢秀明本人も、「ジャニーズに拾われなければ、今の自分は想像できない」「人生が180度変わった」と、話している。

そんな滝沢秀明は、「自分はどこへでも行き、なんでもやり、その場でお題を出されたら、全力を出して応えるんだ」という意気込みで、仕事に取り組んでいたそう。

後輩への面倒見の良さは、『伝説』と言わしめるほど。

滝沢は、感情的にならずに適切に後輩を導く”大人”として周囲に信頼されていたとのこと。

また、それだけでない実力の持ち主で、数々のテレビドラマなどにも出演し、大河ドラマ史上最年少(当時23歳)で『義経』の主演をはたし、新橋演舞場では最年少座長を務めていた。

これらのことからジャニー北川が、どれほど彼を信頼してきたかが感じ取れる出来事の数々であると思う。

 

 

ジャニーズJrの育成などを行うジャニーズアイランドの代表取締り役として、遺憾無く自身の力を発揮して欲しいと思う。

滝沢秀明さんを、テレビ画面や舞台で見ることはなくなりますが、ジャニーズが発展していくことを心から祈っている。